| 糸の番手 | 針の番号 |
| #80~#50 | No11 |
| #60~#50 | No14(11) |
| #50~#30 | No16 |
| #20~#8 | No1 |
ミシンの基礎知識
布地、ミシン糸、針の組み合わせ
| 布地 | ミシン糸 | ミシン針 (DBX1) |
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| 薄地 | ローン キュプラ ジョーゼット |
化繊糸#80~#90 | No7~11 |
| スムース トリコット | 化繊糸#80~#90 | ||
| 普通地 | ブロード ギンガム | 綿 糸#60~#80 化繊糸#60~#80 |
No11~14 |
| 薄手ジャージー 化繊服地 |
化繊糸#50~#60 | ||
| フラノ ウール | 化繊糸#50~#60 綿 糸#50 |
||
| 厚地 | デニム | 綿 糸#20~#50 化繊糸#20~#50 |
No14~18 |
| 帆布 | 化繊糸#30~#50 | ||
| ツイード | 化繊糸#50 綿 糸#50 |
||
| 人工皮革 | 化繊糸#20~#30 |
ミシン糸について
1.ミシン糸に使用される繊維
| 天然繊維 | 綿糸(カタン糸) 絹糸(ハブ糸) |
| 合成繊維 | ポリエステル糸(シャッベスパン、フェザーナ、ブルーファイブ等) ナイロン糸(レオーナ、レジロン等) |
※()内は市販されている商品名です。
2.スパン糸とフィラメント糸
| スパン糸 | カタン糸のように比較的短い繊維を紡いでよりをかけて作った糸で、柔らかな感じのする糸です。 |
| フィラメント糸 | 絹糸のように長い連続した繊維によって作られた糸で光沢があります。 |
3.糸のよりの方向
ミシン糸は左よりを用います。これはミシンで縫い目を作るときに左によりがかかるからです。右よりの糸を使ったり、バック縫いを連続して長く縫うと、糸のよりが戻り、糸割れや糸切れになる場合があります。
4.ミシン糸のサイズ
糸のサイズの表示には、番手、号数、デニールがありますが、番手で表示されている糸が多いようです。番手は数字が大きくなるほど糸の太さは細くなります。
ミシンで布を縫う原理
ミシンで布を縫う原理は、上糸と下糸の2本の糸を布地の中央で結び合わせることによって成り立っています。
1.針によって上糸が布地を貫通し、裏側に運ばれます。
2.針の上昇によって上糸がたるみ、このループ状の上糸をかまの剣先がひっかけます。


3.かまが上糸をたぐりながら、ボビンケースの外周をまわり、
上糸と下糸の絡み合いを作ります。


4.余分な糸は天秤で引かれ、結び目ができます。
5.最後に送りが働いて、連続した縫い目が形成されます。


ミシンの歴史
| 1755年 | チャールズ・ワイゼンタール(ドイツ)が、両端が針で中間に穴のある針を使った縫製機械を作りました。これが最初のミシンといわれています。 |
| 1790年 | チェーンステッチ(1本の糸で縫う)による世界初のミシンが登場しました。 |
| 1832年 | ウオルター・ハント(アメリカ)によって、二本の糸を使ったロックステッチ方式と呼ばれるミシンが発明されました。 |
| 1846年 | エリアス・ホウ(アメリカ)が先端に穴のあるミシン針を使用して、初めて実用に適する完全な錠縫い(ロックステッチ)ミシンの組み立てに成功しました。 |
| 1851年 | シンガーにより完成されたミシンが誕生しました。 |
| 1854年 | ペリー提督が二回目の来航の際、第13代将軍徳川家定夫人へ献上したものの中にミシンがあり、これが日本に伝来したミシンの第一号であったといわれています。 |
| 日本国内 | |
| 昭和03年 | 麦藁帽子製造用のブラザー製 純国産第一号ミシン |
| 昭和10年 | 小学生教材等でおなじみだった蛇の目製 標準型本縫いミシン |
| 昭和28年 | ブラザー製造のジグザグ一号機 |
| 昭和46年~ | ジグザグタイプの急速な普及 多機能化競争が激化する。この頃大ヒットした「ジャノメ トピアシリーズ」 |
| 昭和51年 | 日本初の家庭用電子ジグザグミシン「コンパルDX」 |
| 昭和54年 | コンピュータミシンの登場「ジャノメ メモリア」 |
| 昭和60年 | 急速にコンピュータ化が進む。 初の自動糸調子ミシン「JUKI ザ・ミシン」 |
ミシンとは?
糸で布類を縫い合わせる機械
人間生活の基本である衣食住の【衣】の部分を支える機械
人間が身に付けなければならない衣服類は、19世紀の初めまでは一針一針手作業で縫いつけていましたが、ミシンの発明で衣服類の生産は飛躍的に成長しました。ある意味、ミシンの普及なくしては、近代の産業革命も中途半端なものになっていたかもしれません。
例えば、その当時キチッとした服を身につけられたのは、ほんの一部のブルジョア階級のみに限られていました。貧困とまでいかない普通の市民でも、今の時代のように自分の好みの洋服を手軽に手に入れるのは困難でした。しかし、ミシンによる縫製が発達することにより、すべての人がそれなりの快適な洋服を身につけられるようになったのです。
日本でも戦後の物不足の中で、ミシンは飛ぶように売れ、その後目覚しい経済復興に伴う衣生活の向上により既製服市場が拡大しました。 現在では、大量生産のための『工業用ミシン』と、個人で使用される『家庭用ミシン』とに分かれています。
家庭用ミシンは、昔「義務としての家庭生活の必需品」でしたが、既製服の普及に伴う社会的衣環境の変化により、「家庭生活を楽しむための必要品」に変化しています。そして、手軽な手芸・洋裁になくてはならない道具として、その価値が『趣味』の分野に移行しつつあります。




